家の猫が今に至る経緯をお知らせします。 '88夏(僕らが工短2年生の頃)仲良くしていたパンチ君のアパートに遊びに行った帰り、パンチ君の車の下で暑さをしのいでいた 茶トラの猫を発見。手招きしたら寄ってきたので抱えあげる。首輪がない事、人懐っこい事から捨て猫と判断して自分のアパート に持ち帰る。その時既に自分のアパートには白黒のオス猫(両目に障害有)がいたので一匹飼うのも二匹飼うのも手間は一緒と思 ったのが浅はかで♂+♀=子だくさんと言う思考がその時はなかった。もっとも拾った時にはお腹が大きかったのでこのとき既に ご懐妊だったようです。初のお産では5匹の元気な猫を出産。人間と同じで夜中に産気づいて朝までかかって産み落とす。 子猫は爪が隠せないため常に爪が出っぱなし。その爪もろとも母猫のおっぱいを揉むものだから、おっぱいがただれてきて最後は 動物病院で治療。その間母猫のお腹は包帯でぐるぐる巻きなので私が人間用の粉ミルクをこれまた人間用の哺乳瓶で授乳。 3時間おきにジャミるので結構大変。学校の授業以外は一緒に子育て・・・。翌年私は専攻科に在籍して同じアパートに留まる。 案の定翌年も出産。今度は4匹。おっぱいただれる→母猫、包帯ぐるぐる巻き→私が授乳のお手伝い→授業と子育ての毎日、昨年 と同じ事の繰り返し。翌年、金沢(正確には金沢市のお隣の野々市町)の大学に編入。猫出産→学業と子育ての毎日。翌年も出産 4〜5匹生むのが常だったのがこの時は2匹だけ。その分一匹一匹が大きい為初めての難産。いつもは出産真直に自分で作った巣 箱?で生むのですが相当苦しいのか私の近くに寄ってきてうめき声を上げる。とうとう目の前で産み落とす。ところが胎児が呼吸 をしていない。見ているこっちがパニック!! 母猫が羊膜を食べ ベロで子猫を舐め回していると自発呼吸を始める。ホッとする。 この難産を見てそろそろ母体にもかなり負担になっているようなので翌年避妊手術を受けさせる。金沢を後にして実家に戻り猫も そこでの生活が始まる。周りに民家がなく野良猫も少ないのかあまりストレスもなく過ごす。ところがドッコイ、平成16年10月23 日夕刻、あの中越地震に遭遇。自分は真っ先にお客様の安否確認、避難誘導、その後となりに住んでいる両親を屋外に退避させる。 事務所に戻り猫を探すが何処にも見当たらない。余震が続く中、お客様を安全な場所に退避させた後、両親と自宅近くの屋外にて 2時間ほど避難。その間も何度か店に戻り猫を呼び、探すが応答がない。棚などが倒れいろんなものが散乱している状況なので何 かの下敷きになって息絶えたとある程度覚悟を決める。電気も来ない、車(緊急車両含め)もまったく通らない、ただただ余震時 の地鳴りと長時間の静寂が続くだけ。自宅付近にいても埒が明かないため情報を求め高速の越後川口インターを目指す。たくさん の車、人が集まっていたが道路公団でもまったく情報が来ていない状況。着の身着のままで出てしまった為寒くなり防寒着を取り に一旦店に戻る。その際も猫を探すが発見できない。車を出したくても電動シャッターの手動作動方法が分からず(停電のため) 仕方なくバイクを引っ張り出しインターに戻る。役場に救助を求める為バイクで向かうが既に川口橋が落下の恐れ有と封鎖され川 向こうに行けない。仕方なく戻るとき橋近くに父がお世話になっているデイサービスの施設が目に入る。ここのワゴン型福祉車両 を使ってこの施設に両親を搬送しようと考え施設内に入る。よく知っている職員に事情を説明して了解が得られたのでバイクで先 導してインターに引き返す(道中先導なしで走ると道路が隆起、陥没しているところが多々あり危険な状態)。その後その施設で 約1ヶ月間避難所生活をおくる。その間炊出しや介助(老人福祉施設のため多くのご老人を預けに来られていた為→体力のある方 は車中で生活をしていたがご老人はそれに耐えられないと皆さん判断されていました)被災避難生活と平行してボランティア活動 に明け暮れ、その間も生活に必要なものを取りに店に何度か戻る最中、猫の安否を確認するがやはり発見できずこの時はかなり諦 めムードでした。被災4日目、店に戻ると念のために餌入れに入れておいたキャットフードは地震後初めて減っていたのに気付く。 どこかの野良猫が侵入して食ったものと思っていたその時、聞き覚えのある、でもかなりかすれた猫の鳴き声が聞こえてきました。 大声を上げながらその声のするところにダッシュ! 台所に家の猫がいたんです。いい年こいて猫を抱きかかえながら泣いてしま いました。かなりやせ細ってはいましたが怪我なども無くとりあえずは元気な状態で一安心。ただ避難所に連れて帰ることができ ないのでその日から避難所にいる両親の世話、炊出し&介助ボランティアが一段落付いたら店に戻り猫と一緒に寝泊りする事にし ました。幸い施設の車庫が支援物資の受け入れ場となっていて事情を話しミネラルウォーターを猫の飲み水用に分けていただきま した(店近辺は1ヶ月間の断水が続いていた為)。そして今日に至るのですが、震災時の影響なのか軽いPTSD(動物にもあるんだ そうです)になっています。人の気配がなくなると喉を壊すんじゃないかと言うくらいの鳴き声で人を探します。今はヒーター吹 出し口の前でぬくぬくと爆睡するのが日課です。推定21歳、人間の年齢に換算するとちょうど100歳。タカさんの写真のおか げで『推定』じゃなくなりました。今月私は40歳になります。人生の半分以上をこの猫と過ごした事になります。少し痴呆気味 なところもあります。そのうちオムツをしなくてはいけない日も来ると思います。でもこいつが大往生する最後の日まできっちり 面倒を見るつもりです。